ミュシャ (Alphonse Mucha)

ミュシャ

ミュシャ 略歴・プロフィール

1860年 7月24日チェコ南モラビア地方のイヴァンチッツェに誕生。
1871年 ブルノーの中学校に入学、聖ペテロ教会の聖歌隊員となる。
1873年 最初の公的な仕事、雑誌モテツトの表紙を描く。
1874年 聖歌隊を退団、中学を卒業、書記として働き、デッサンを学ぶ。
1879年 ウィーンに行き、舞台美術工房で働く、デッサン教室に通う。
1882年 リング劇場の焼失で、ウィーンを去りミクロフに移る。
1883年 最初のパトロン、クーエン・ベラン伯爵に会う。
1884年 伯爵の援助を受けて、ミュンヘンの美術アカデミーで学ぶ。
1888年 パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。
1889年 アカデミー・コラロシュに学ぶ、クーエン伯爵の援助を打ち切られる。
1891年 雑誌に挿絵を描く、ゴーギャン、ストリンドペリに出会う。
1892年 セニボス著「ドイツの歴史」の挿絵を描く、ポスター、カレンダーも制作。
1894年 サラ・ベルナール主演「ジスモンダ」のポスターを制作。大好評となる。
1895年 サラ・ベルナールと6年間のポスター契約を結ぶ。
1896年 サロン・デ・サン展のポスターを描き、ロートレック等と共に出品。
1897年 サロン・デ・サンにて個展。ラ・ブルユム誌ミュシャを特集。
1900年 パリ万国博覧会開催、ボスニア、ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。
1901年 レジオン・ドヌール勲章受章。装飾資料集を刊行。
1904年 アメリカに招かれる。ニューヨーク、シカゴ、ボストンに行く。
1906年 マリア・シティロヴァとプラハで結婚。共にアメリカに渡る。
1909年 長女ヤロスラヴァ誕生。
1910年 祖国に帰り、プラハに住み、「スラブ叙事詩」の制作を開始する。
1915年 長男イージー誕生。
1918年 新貨幣や切手のデザインをする。
1931年 プラハの聖ヴィタ大聖堂のステンド・グラス制作。
1936年 パリの印象派美術館でミュシャ展開催。
1939年 7月14日、母国のプラハにて逝去、79歳。
19世紀終わりから20世紀初頭にかけての「古きヨーロッパ」を彷彿とさせるミュシャの遺作は、アール・ヌーボーの華として、時代を超えて世界各国において愛され続けている。

次 : ラッセン
前 : ミロ


絵画買取のアート買取ネットでは、ミュシャの買取及び査定、鑑定についてのお問い合せを受付けています。お気軽にお問い合わせください。

ミュシャの買取・鑑定について
ミュシャの査定について
ミュシャについてのお問い合せ | TOPへ戻る

買取依頼 | 画廊案内 | 買取までの流れ | 出張査定 | よくあるご質問 | 取り扱い作家一覧 | archives
オークションとは | 出品までの流れ | 手数料など | 会社概要 | 画廊ギャラリーのご案内 | お問い合せ
Copyright 2005 - 2006 NERIKI GALLERY All Rights Reserved.
買取依頼はこちら 画廊案内はこちら 買取までの流れ 出張査定について よくあるご質問 取り扱い作家一覧 お問い合せ オークションとは 出品までの流れ 手数料など 会社概要 ギャラリーのご案内 お問い合せ 写メールde査定