三岸節子 (みぎしせつこ)

三岸節子 略歴・プロフィール
1905年( 0歳) 愛知県尾西市の富裕な地主の四女として生まれる
1920年(15歳) 不景気により父の織物工場が破産。ショックで妹が死去
1921年 16才 淑徳高等女学校を卒業し、上京して洋画家・岡田三郎助に師事
1922年 17才 女子美術学校(現在の女子美術大学)2学年に編入、三岸好太郎と出会う
1924年(19歳) 女子美術学校(現在の女子美術大学)を主席で卒業。9月、三岸好太郎と結婚
1925年(20歳) 1月、娘・陽子を出産。春陽会第3回展に「自画像」が女性としてはじめて入選
1932年 27才 参加していた春陽会から離れ、独立美術協会第2回展に出品、入選
1930年(29歳) 夫・三岸好太郎が31歳で急逝。幼い3人の子どもを抱え「画家として生きる」決意
1935年(30歳) 最初の個展を大阪で開催 1936年(31歳) 女性画家6名とともに七彩 会を結成
1939年 34才 新制作派協会会員となる
1945年(40歳) 9月、焼け野原の東京で美術界戦後最初の個展開催
1947年(42歳) 女流画家協会の設立に発起人として参加
1948年(48歳) 洋画家・菅野圭介と「別居結婚」
1949年(44歳) 最初の随筆集『美神の翼』を朝日新聞社から刊行
1950年(45歳) 現代美術自選代表作展に、現代画家の15人のひとりとして選ばれる
1951年(46歳) 昭和25年度芸能選奨(現在の芸術選奨)文部大臣賞を受賞
1953年(48歳) 菅野圭介との結婚を解消
1964年(59歳) 神奈川県大磯の山荘で野菜を自給自足、花を栽培しての一人暮らし
「風景画家」としての第一歩
1967年(62歳) 好太郎作品を北海道に寄贈。
のちに札幌の三岸好太郎美術館に展示される
1968年(63歳) 息子・黄太郎一家とともに南仏のカーニュに定住
1982年(77歳) 帰国
1998年(93歳) ふるさと尾西市に三岸節子美術館開館 (写真・絵画・略歴は、三岸節子自選画文集『花こそわが命』求龍堂より)
1999年(94歳) 死去
次 : 宮本三郎
前 : 林喜市郎
絵画買取のアート買取ネットでは、
三岸節子の買取及び査定、鑑定についてのお問い合せを受付けています。お気軽にお問い合わせください。
三岸節子の買取・鑑定について
三岸節子の査定について
三岸節子についてのお問い合せ |
TOPへ戻る