宮本三郎 (みやもとさぶろう)

宮本三郎

宮本三郎 略歴・プロフィール

明治38年(1905)〜昭和49年(1974)
石川県小松市生まれ、東京で歿。川端画学校で藤島武二に師事。昭和2年から二科展に出品、同11年 二科会会員となる。「山下・パーシバル会見図」で、同18年帝国芸術院賞。同19年 朝日文化賞を受賞。同22年に二紀会を創立、理事長となる。 同41年 日本芸術院会員。 代表作:「婦女三容」など。

***

明治38(1905)


5月23日、石川県能美郡末佐美村字松崎(現小松市松崎町)に生まれる。

大正 7(1918)
13歳
石川県立小松中学校(現石川県立小松高等学校)に入学。

〃 9(1920)
15歳
画家を志して小松中学校を中退、神戸に出る。

■ 立志
大正11(1922)
17歳
上京し、川端画学校に通い、藤島武二らの指導を受ける。
〃 12(1923)
18歳
光風会展に初入選。
■ 画家としての出発
昭和 2(1927)
22歳
第14回二科展で《白き壺の花》が初入選。以後、入選を重ねる。
〃 3(1928)
23歳
遠藤文枝と結婚。
〃 6(1931)
26歳
第3回鉦人社展に出品。
〃 7(1932)
27歳
二科展会友に推挙される。
第4回新美術家協会展に《レヴイユーの女達》などを出品。
〃 9(1934)
29歳
第21回二科展に《裸婦》《家族席》《海女》を出品。
初個展・宮本三郎油絵素描展を開催。

〃 10(1935)
30歳
世田谷区玉川奥沢町(現・世田谷区奥沢)に新居を構える。
第7回新美術家協会展に《裸女結髪》《赤のクッション》などを出品。
東京府美術館開館十周年記念現代総合美術展に《観客席》を出品。
第22回二科展に《婦女三容》《青い敷物》などを出品。

〃 11(1936)
31歳
岸田國士の小説「雙面神」(全140回)の挿絵を描く。
二科会会員に推挙される。

〃 12(1937)
32歳
田村孝之助らとグループ・朱玄会を結成。

〃 13(1938)
33歳
第1回朱玄会展に《花と女》《静物》などを出品。
新美術家協会10周年記念展に《赤い背景》《青い敷物》を賛助出品。

■ はじめてのヨーロッパ
昭和13(1938)
33歳
渡欧し、パリのアカデミー・ランソンに籍を置く。(1939年帰国)

〃 15(1940)
35歳
二科展に滞欧作を特別陳列する。

■ 従軍画家として
昭和15(1940)
35歳
陸軍省嘱託として戦争記録画制作のため、中国に赴く。
第3回朱玄会展に《エトルタ風景》《少女像》など、滞欧作を出品。

〃 17(1942)
37歳
戦争記録画制作のため、南方(タイ・マレーなど)に従軍。
第29回二科展に《マライの子供》ほかを出品。
12月、第1回大東亜戦争美術展覧会で《山下、パーシバル両司令官会見図》《香港ニコルソン附近の激戦》が特別陳列される

〃 18(1943)
38歳
4月、《山下、パーシバル両司令官会見図》が帝国芸術院賞を受賞。
9月、初の著書『宮本三郎南方従軍画集』が刊行される。
第2回大東亜戦争美術展で《海軍落下傘部隊メナド奇襲》などが展示される。

〃19(1944)
39歳
《海軍落下傘部隊メナド奇襲》に対し、朝日文化賞が贈られる。

■ 郷里に疎開して(石川)
昭和19(1944)
39歳
7月、石川県小松市に疎開。

〃 20(1945)
40歳
石川県美川町字湊町に居を移し、終戦を迎える。
10月、(財)石川県美術文化協会が設立され、評議員・企画委員に就任。

〃 21(1946)
41歳
金澤美術工藝専門学校(現・金沢美術工芸大学)油絵科講師に就任。
壁画《日本の四季》(6面)を完成する。

〃 22(1947)
42歳
4月、旧二科会会員の熊谷守一、田村孝之介ら9名と第二紀会を創立。
9月、第二紀会第1回展(=以下、二紀展)に《清流》などを出品

〃 23(1948)
43歳
2月、金沢美術工芸専門学校教授に就任。
■ 再出発
昭和23(1948)
43歳
5月、疎開先より東京都世田谷区玉川奥沢町の自宅に戻る。
〃 24(1949)
44歳
6月、設立に尽力した日本美術家連盟が創立し、洋画部委員に就任。
二紀展に《寝たる裸婦》《金魚と裸婦》ほかを出品。

〃 25(1950)
45歳
5月、金沢美術工芸専門学校教授を辞任。
第1回選抜秀作美術展に《裸婦》を出品。
二紀展に《裸婦A》《裸婦B》などを出品。

〃 26(1951)
46歳
第1回サンパウロ・ビエンナーレに出品。
 
昭和27(1952)
47歳
再渡欧。イタリア、フランス、スペイン、ギリシアなどで制作。
■ 構成と色彩の精華
昭和28(1953)
48歳
帰国後の4月、多摩美術大学絵画科教授に就任。
第2回日本国際美術展に招待出品。
二紀展に《トレドの道》《シャルトルにて》などを出品。
宮本三郎滞欧作品展を開催

〃 29(1954)
49歳
6月、石川県繊維会館に壁画《産業と文化》完成。
第1回現代日本美術展に《画室の裸婦》出品。

〃 30(1955)
50歳
東京教育大学教育学部芸術科の非常勤講師に就任。(1964年3月まで)
二紀展に《人間群像》を出品。

〃 31(1956)
51歳
二紀展に《家族》《箱根》出品。

〃 32(1957)
52歳
安井賞の選考委員に就任。(1974年まで務める)
宮本三郎素描展 舞妓 を開催。
《裸婦》《農夫》《薪を運ぶ人》を二紀展に出品。

〃 33(1958)
53歳
4月、日本美術家連盟理事長に就任。(翌年、社団法人化)
《乳牛》《山羊》《阿修羅》などを二紀展に出品。

〃 34(1959)
54歳
日本美術家連盟が美術家会館の建設を決議、委員長に就任。
7月、金沢駅コンコースの壁画《加賀獅子》の除幕式が行われる。
《流水(手取川)》などを二紀展に出品。

〃 35(1960)
55歳
国際造形芸術家連盟(IAA)の日本国内委員長に就任。
宮本三郎素描展を開催。二紀展に《水》《紅衣》《白衣》を出品。

〃 36(1961)
56歳
15周年記念二紀展に《立っている女》《黒い髪》などを出品。
〃 37(1962)
57歳
《盛夏山湖》《裸婦A》《裸婦B》を二紀展に出品。
〃 38(1963)
58歳
第7回日本国際美術展に《歌手》を招待出品。
〃 39(1964)
59歳
9月、国立競技場にモザイク壁画の除幕式が行われる(原画を制作)。
〃 40(1965)
60歳
第8回日本国際美術展に《歓喜》出品。
二紀展に《不忍夜曲》《化粧室の裸婦》を出品。
日動サロンで自選による55点を出品の宮本三郎展を開催。

〃 41(1966)
61歳
日本芸術院会員となる。3月、多摩美術大学教授を辞任。
〃 42(1967)
62歳
二紀会が社団法人に認可され、初代理事長に就任。
〃 43(1968)
63歳
第8回現代日本美術展に《赤い敷物》《蘭花》を招待出品。
二紀展に《更紗の前》《花のカリアチード》を出品。

〃 44(1969)
64歳
宮本三郎 花・裸婦・舞妓展を開催。
二紀展に《浴女》《裸女達に捧ぐ》を出品。

〃 45(1970)
65歳
《レ・トロワ・グラース》《浴泉》を二紀展に出品。

〃 46(1971)
66歳
7月、金沢美術工芸大学名誉教授に就任。
宮本三郎作品展<花と裸婦 女神たちの復活>を開催。

〃 47(1972)
67歳
二紀展に《VENUS ANADYOMENE(三部作のうちその2)》《女優》を出品。
〃 48(1973)
68歳
胃の手術のために入院、手術を受ける。
二紀展に《SALOME》《牧歌(三部作其三)》を出品。

〃 49(1974)
69歳
10月13日、逝去。
遺作《假眠》を二紀展に出品。

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